◆中学受験の窓口 今日のメニュー
・偏差値帯で違う理社の取り組み
・なぜ塾のクラスは上位が良いのか
・「メモ」の差は埋まらない
・鍛錬千日 勝負一瞬
中学受験で成績を、偏差値をグイグイ伸ばしていく子は目の前の課題に、先生の出したお題に「挑む子」です。
逆に先生に言われたことしかやらない、自ら動く気配のない「待ちの子」は成績も、偏差値も伸びが鈍いのが特徴です。
例えば理科や社会の知識問題。
偏差値50前後、それ以下の子は「試験に出るところ」「大切なところ」など先生が指摘したところには注目しますが、それ以外はほぼノーマークです。
国語の漢字も「まだ学校で習っていない」と逃げ道をつくって、小学校より「先取り」している塾で学ぶものに対し積極的に取り組もうとしません。
一方で偏差値60以上の子は、歴史の背景とか、理科でもどうしてそうなるかの理由の方に注目します。
疑問に思ったり、さらに聞きたいとなれば、授業中でも先生に質問します。
自分の理解が浅いと感じれば「ちょっと待って」と授業を止めて納得を求めます。
授業そのものを「自分のペースに持ち込む」のです。
偏差値50前後の子がテスト前に一生懸命やる一問一答などもやりますが、それは確認程度。
「理由や背景と関連付けていけば自然と頭に入る」からです。
偏差値50前後の子が一問一答形式の出題はある程度できても、違いが微妙な正誤問題、自分の言葉で説明できなければならない記述問題などで苦戦します。
なぜ、苦しむかと言えば、授業中、家庭学習を含めた「意識の違い」が大きいからです。
塾で「1つでも上のクラス」を目指す理由は、難関校の合格の可能性が高くなるとか、見栄えがいいからなどの理由ではありません。
言われたことのみをやる下位クラスの「待ちの子」と上位クラスの「挑む子」とは、塾での勉強姿勢が違います。
その姿を目の当たりにして、果たして自分は…と気づきの機会を得るためというメリットがあります。
デキる子の真似をするのではなく、その「姿勢」から感じることを自分なりに吸収、アレンジして自分の勉強スタイルに組み込んでいくと成績は上昇カーブを描き始めます。
「挑む子」と「待ちの子」の授業中の典型的な姿勢の差は「メモ」です。
「挑む子」は先生が黒板に書かず、口だけで言ったことも「お土産」で持ち帰ります。
走り書きでテキストの端にメモをしたりします。
授業中に触れたことは「余すところなく」吸収するという姿勢が、言われなくても無意識にできます。
板書はエッセンス、先生の解説はそれを補強し、理解を深めるもので知識や解法に「栄養」を与えるようなものです。
「待ちの子」は、板書されたことはノートに書いても、それ以外はほぼスルーします。
ノートをとること、プリントの空欄を埋めることが終われば、やれやれひと休みといった感覚です。
先生の解説・説明もぼんやり。「なんか声が聞こえる」程度で、話が断片的にしか頭に入っていません。
小4から3年間、この「姿勢の違い」は、日々の差は小さくても、長い歳月の間にはとてつもないものになります。
6年生秋以降の追い込みでもこの差が埋まることはないと断言できます。
すべては1回ずつの授業での積み重ねで決まります。
先生が口だけで説明し、サラッと通り過ぎたところは、直接入試には出ないかもしれません。
しかし、あらゆる角度から検討して解答を出さなければならないひねった問題や初見の問題に直面した際に、「そういえばあの時先生があんなことを言っていたな」とヒントや解答への糸口につながることが少なくありません。
通塾中の授業の一瞬々々を大切にした子が、本番で力を十二分に発揮します。
中学入試は過去問対策がすべてで逆転合格も可能、という言説が根強く信じられています。
それは出題傾向が変わらなければ、という大前提が成り立っている時の話です。
入試問題は「生き物」で、どの学校も年々「進化」しています。
さまざま方向から考えたうえで解答を求めたり、初見の問題で子どもたちの思考の柔軟性を見ようとします。
その時に問題へのアプローチの「引き出し」が多ければ多いほど、さまざまな発想ができ解答を導き出せます。
「鍛錬千日 勝負一瞬」。これが受験です。