中学受験 「ご縁」をベストにするのは「自分次第」
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◆中学受験の窓口 今日のメニュー
・ 「ご縁」のあった学校で自らを育む
・豊富なメニューをどう活用するか
・中学受験の意味がなかった子
・中受成功なんて1回戦突破程度
「ご縁」のあった学校で自らを育む
中学受験をする以上、各家庭それぞれ志望校があります。
学校への思いの熱望度、志望校の選択基準も違いますが、「少しでも偏差値の高い学校へ」という方針の親御さんが一定数います。
単純化すると「偏差値が高い学校=いい学校」という図式です。
そんなことはない、と頭では理解していても、どうしてもいくつかの学校を比べ、受験プランを組む時に「偏差値の高い学校」を中心に考えがちです。
その結果として子どもの実力以上のラインナップになり、当初思い描いたのとは全く違う現実を突き付けられることが多々あります。
「挑戦」と言えば聞こえはいいのですが、受験の主役である12歳の子どもにとって不合格の連続はかなり傷つきます。
中学受験は偏差値に関わらず「自力で合格を勝ち取る」というところに大きな意味があります。
そして合格した「ご縁のある学校」へ進み、そこでどう自分を育てていくかが、次のステージのテーマになります。
豊富なメニューをどう活用するか
英語教育、ICT、アクティブラーニング、海外研修(留学)、体験学習に大学進学に向けての補習に季節講習…。
これらの豊富なメニューは特定の私立だけがやっているのではなく、今はどの学校も「標準装備」です。
中身の濃淡、レベルの差はあるかもしれませんが、難関校であっても中堅校であっても、内容に大差はありません。
大切なのはどの学校へ入学しても、豊富なメニューを「自分がどう活用していくか」です。
各私立の中高一貫校は6年にわたり、独自の味付けで教育メニューを提供します。
入学前、説明会の段階ではどれも「美味しそう」なメニューで、実際に入学後にそれを体験すれば有益なものが大半です。
その中で「個人の進路や人生に影響を与えるもの」が1つでも、人によっては複数見つかれば、どんな学校にせよ中高一貫校に進んだ価値はあったといえます。
ここに公立ではない、中学受験をした大きな意味があると言えます。
第1志望だった学校で 「個人の進路や人生に影響を与えるもの」 に出会えれば最高ですが、志望順位は高くなくても縁があった学校でも 「出会い」は必ずあります。
中学受験の意味がなかった子
「個人の進路や人生に影響を与えるもの」 は中高一貫の6年で見つかる、としましたが、残念ながら見つからない子もいます。
漠然と学校に通い、漠然と授業を受け、漠然と学校行事や課外活動に参加して、自ら何かを「求めない子」は意味のない6年間になる可能性が高いです。
中高一貫校は提供される教育メニューは多彩ですが、自動的に子どもを育ててくれるものではなく、生徒自身が動かなければ「宝の持ち腐れ」になります。
学校が提供する豊富なメニューから目を背け、いつまでも「あの中学に行きたかった」「こんな学校に行っても意味がない」などと、腐っている場合もチャンスを生かすことができません。
あるいは合格することだけが目標で、入学後に「こうしたい」というものがなく、成績も低迷し、かといって部活動を頑張っているわけでもない、深く沈んで動かない「深海魚」のようになってしまう子も中学受験をした意味がなかった、ということになってしまいます。
「個人の進路や人生に影響を与えるもの 」は天から降ってくるものではなく、自分から前向きに行かないとつかみ取れないものです。
入学することになった「ご縁」のある学校で、「ベスト」といえる6年間にするには、学校の偏差値や大学合格実績、カリキュラムの充実度ではなく、与えられた環境をどう活用するかという「自分次第」で決まるのです。
中受成功なんて1回戦突破程度
親御さんの中には「こんな偏差値の低い中学に行っても…」とか「目指していた学校と違う。納得いかない」と、現実を受け入れられないケースも少なくありません。
口には出しませんが、子どもの難関校・上位校合格を、自分の「勲章」のように感じている親御さんは結構います。
しかし、中学受験の「成功」なんて、長い人生でみれば「予選の1回戦突破」程度です。
進んだ中学でそれぞれの2回戦が始まります。
中学受験での成功は「優勝」ではなく、先はまだまだ続くのです。
中学でさらに自分だけの「オリジナルステージ」へ進むために…そこに中学受験の意味があります。
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