中学受験「丸付け」でわかる偏差値が伸びない理由
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・「丸付け」の意識変えるだけで…
・「ノートが美しい」子の成績
・「悪いこと」から抜け出せない訳
・残念な「写し替える」だけの子
「丸付け」の意識変えるだけで…
塾や自宅学習で使っている子どものノートやテキスト、親御さんはどれぐらいの頻度で見ていますか。
もしかしたら反抗期もあって「見せてもらえない」というケースもあるかもしれません。ちゃんとノートをとっているか、テキストの重要部分に線は引いてあるか、などを見る必要はそれほどありません。大切なのは、問題を解いた後の「丸付け」です。
これがいい加減な子はなかなか成績が伸びません。言い換えれば「丸付け」の意識を変えるだけで点数も偏差値もアップするということです。
「ノートが美しい」子の成績
成績が伸びない子の「丸付け」は「ノートが美しい」という特徴があります。ほめ言葉ではありません。嫌味を込めて「美しい」と表現しました。
そもそも「丸付け」をしない生徒が結構います。宿題だからやったけど、答え合わせをしない、というより勉強に関して「無関心」といった方が正確かもしれません。
最初の数問を除き、問題と「格闘」することなく、自分の持っているわずかばかりの引き出しを用いて、適当に数字を書いているだけのノートです。
別紙に計算した跡だったり、図を描いていろいろな角度から問題にアプローチしたなどの「格闘した形跡」もありません。適当な数字を記入しているだけなので「正解に至らない」ことが自分で一番よく知っています。
生徒の側から言わせれば「敢えて赤ペンで〇×を付けるまでもない」といったところです。
「悪いこと」から抜け出せない訳
同じ「ノートが美しい」も、〇が目立ち、×がちらほらというノートやテキストもあります。×が付いていても直した形跡はあまりありません。こういう生徒も成績が芳しくないケースがほとんどです。
これは「解答丸写し」のパターンです。
塾のテキストの解答は、家庭学習をきちんと進めるために生徒側に配布しています。それをいいことに膨大な宿題量と難問の山を早く片付けて、ゲームでもしたい生徒の中には、多少の罪悪感を感じつつも解答を写して「宿題終わった!」と親御さんに豪語する子もいます。
満点だと丸写しがばれてしまうので、所々わざとミスしたり、間違った答えを書いてみたり、子どもなりに細工を施します。
「悪いことをしている」という認識は、ほぼ全員の生徒にあります。「もう、こんなことはやめよう」と何度思ったか分かりません。でも「やめられない止まらない」のです。
「これが最後、これが最後。次からは」と思うのですが、すでに丸写しが習慣化しているため、いざ自力で取り組もうと思っても、どこから手を付けていいのか「糸口」さえ見つかりません。問題に正面から向き合おうとしても「無理」な状態に陥っているのです。
そうなると今回もまた…の繰り返しになります。苦しみながらも自力で問題と格闘する子との差は広がる一方で、入試直前に特訓授業を受けようと、家庭教師に頼もうと「伸び」は限定的で終わります。
残念な「写し替える」だけの子
前の2例とは違い、自力で宿題に取り組み、丸付けも自分でします。直しもやります。でも成績が、偏差値がなかなか上がらなくて…というケースもあります。
このタイプは問題を解いて丸付けして、理解したかしないかに関わらず、ただ間違った答えを正しい答えに「写し替える」だけで勉強が終わっています。
どうして間違ったのか、正解したけど実はここが曖昧などの「解答分析」を全くしていません。ノートやテキストの余白が「きれい」なのはそのためです。
記号問題で不正解の「ア」を、正解の「イ」に直す、算数で解答を10としたら、正解が20だったので20と書き直す…。意味がないですよね。塾の授業で、よくわからないまま先生の板書をひたすら写すというのもこれと同じです。
明らかに勉強していない、と周囲には映らないので良さげに見えますが「やった割に」「時間をかけた割に」成績が上がらないという「残念な子の勉強習慣」です。
子どもの成績がなぜ伸びないのだろう?と疑問に思って、有効な解決策が浮かばないのなら「ノートの検証」は有効です。そこに成績アップのヒントが転がっている可能性が高いからです。
たかが「丸付け」、されど「丸付け」。表面だけを見ていては、子どもの中学受験は「こんなはずじゃ…」で終わります。子どもだけが勉強するのが中学受験ではありません。親御さんも「勉強」です。
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