“入試に全く出ない”昭和の中学受験史

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もはや昭和は歴史の中の話?
35年で受験率2.5倍
・日能研創業校舎の地はココ
・校舎もないのになぜ四谷大塚?
・あの塾、今はもう…

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★もはや昭和は歴史の中の話?
 4月29日は「昭和の日」。ゴールデンウイークの本格的な幕開けです。若い世代の人にとっては既に歴史の教科書に載っている世界の話、親が生まれた時代のこと、という認識でしょう。中学受験では社会の頻出単元である昭和史ですが、当時の中学受験の風景はどんな感じだったのでしょうか。断片的に「あの頃」を発掘してみます。

★35年で受験率2.5倍
 受験者数はどれぐらいだったのでしょうか。日能研が毎年入試報告会で配布する資料「入試分析ブック」によると、1986年(昭和61年)、1都3県(神奈川、千葉、埼玉)の小学校卒業生約51万7000人に対し、中学受験をしたのは約4万4000人で受験率は約8.5%でした。

 21年度入試は卒業生約29万7000人に対し、約6万1700人が受験し、受験率は20.8%。35年前と比べて、卒業する子どもが4割以上減っているにもかかわらず、受験生は1万7000人くらい増えていています。割合にして約2.5倍。86年当時、東京では珍しい選択ではなくなりつつあった昭和の中学受験が30年以上かけて、周辺3県にも広がり、平成、令和では全体の2割超が受験という状況になったと言えるようです。

最近は行列もなくなった

 併願校数は21年度が1人あたり5.0校であるのに対し、86年は3.3校。ほとんどの学校でインターネット出願が可能になった令和の中学入試ですが、昭和は多くが学校の窓口出願。始発電車で、あるいは前夜から徹夜で学校の正門前に並び「少しでもいい番号を」と、普段は忙しくて子どもと接することができないお父さんが頑張っている風景が、季節の風物詩のようにニュース映像として流れる時代でした。

日能研創業校舎の地はココ
 中学入試と密接な関係にある大手進学塾。現在、難関校の合格実績という点でみれば、サピックスの“独り勝ち”状態です。サピックスが誕生したのが、89年6月で平成元年。昭和から改元して半年後のことでした。当初は別名称だったが、中学受験で実績を上げていた「TAP進学教室」を退職した講師陣で結成されました。実力派講師が去ったTAPはその後巻き返しならず、紆余曲折を経て栄光ゼミナールの傘下に入り、いまは名称として残っていません。

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 それをさかのぼること約40年前の1953年(昭和28年)、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた年に中学受験を目指す塾として始まったのが、横浜市の「菊名小学学習塾」、現在の「日能研」です。設立当初の「菊名…」は日能研菊名校として今でも残っています。「シカクいアタマをマルくする」のキャッチフレーズで、電車の車内広告に中学入試の問題が出始めたのは昭和60年前後。その後フジテレビの「平成教育委員会」で監修をしていた日能研は、中学入試の代名詞になりました。

校舎もないのになぜ四谷大塚?
 現在の日能研の設立から1年後の1954年(昭和29年)に誕生したのが四谷大塚です。立ち上げたのは小学校の教員だった鈴木仁治氏で、自分の子どもの中学受験指導と一緒に近所の子どもにも自宅で勉強を教えていたのが発端だったようです。

 その後、うわさを聞きつけて集まった子供たちが増えたため、外部に場所を求めた鈴木氏は四谷にあった大学受験の駿台予備学校の講堂を日曜日に借りてテスト会場にするようになり、ここも毎週は使えないとなると、56年に今度は東京都文京区の「大塚予備校」も使用するようになりました。単純にこの2つの地名をくっつけて鈴木氏が「四谷大塚進学教室」という名前で私学塾を展開するようになったのは、昭和30年代初め。中学受験を代表するテキスト「予習シリーズ」の誕生は、日米安保闘争が頂点に達した1960年(昭和35年)のことでした。

 四谷大塚の本社は東京・中野。実は四谷にも大塚にも現在校舎はありません。それでも当時の名前が平成を越え、令和にも残っているのは奇跡的といえます。大塚予備校のその後はどうなったかは不明ですが、昭和60年代にはすでになくなっていた可能性が高いです。

 あの塾、今はもう…
 そういえば、昭和の時代によく耳にした塾は今、どうなっているのでしょうか。埼玉を中心に千葉や北関東方面にも進出していた「山田義塾」。難関私立高校受験とともに、中学入試も手掛けていました。1982年(昭和57年)に志賀高原で1週間にわたる勉強合宿を開催するなど、当時としてはセンセーショナルではありました。

合併、買収を繰り返し拡大し、一時約50の教室に2万人以上の塾生を抱えていましたが、昭和も終わり、平成に入って迎えたバブル経済の崩壊で経営が悪化。大量の退職者を出し、95年に解散。21世紀に入って創業者が再度中学受験市場に参入も長くは続かず、受験業界の表舞台から消えたようです。

 入学試験には全く出題されない歴史ですが、昭和からの栄枯盛衰をながめていると、令和の時代もまた新しい流れが作られていく予感がします。(受験デザイナー・池ノ内潤)

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